看取るということ
こんにちは、みなさん、たみです。
みなさんは、ご家族とかどなたかを
お看取りになった経験はございますか?
私は、幸運にも一度自分の祖母が
この世を去る瞬間に立ち会うことが出来ました。
何故幸運にも、という表現になるかというと、
実は、看取るということは、現在の社会のシステムでは
とても難しいことなのです。
多くの人は明け方に命の灯が消えて
この世を旅発つことが多いのです。
朝方3時から5時くらいは
人の体温が一番下がる時間帯だから、
旅立ちやすいというと表現が微妙だけれど
この世を去りやすいみたい
今は、共働きとか核家族化とか進んでいて
看護や介護がしにくい生活環境だから
この時間にちゃんと看取れることが少ないのも
何となく納得です。
かくいう私の祖父も、ずっと同居していたけれど
最後の最後は入院になってしまい、
自宅から遠くない病院に入院していたにも関わらず
朝方亡くなったために、誰も看取れなかった
同居していた祖母もそう。
母方の祖父もそう。
朝の旅立ちだった。
母方の祖母は、危篤状態に陥った時に
家族親せきみんなを病室に呼ぶことができて
しかも、祖母は家にいると錯覚していて
「じゃあ、お茶入れようか」
という言葉を最後に立ち上がろうとして
午後3時のおやつの時間に旅立った
この瞬間に立ち会えたことは本当にありがたく
今でもよく覚えています。
息を引き取る。
っていうけど、本当にそう。
息をすっと吸って、
旅立っていった。
家族や親せきに囲まれて、
有難いなって思いました。
最近、救急車の音を良く聞くからか、
私の父が救急救命士だったし
親せきにも救急救命士や消防士が多かったので
特別、サイレンに意識が向いているのか
分かりませんが、
そんなことをふと思った。
なんか、変な話になってしまいましたが
いい旅立ちは、やはりおめでたいですよね。
まぁ残される人のエゴですけれど!
今日もわがまま放題の私でした。
やはり、私はもう少し人を喜ばせたりしたほうが
自分にとってもいいような気がしてならない
今日この頃です。
近所の公園。
まるで、フランスの田舎に住んでいた時の自然環境保護地区みたい。
ここも自然環境保護地区になっていて、立ち入り禁止です。
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